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郡山を歩く

皆さんこんにちは。今日(11日)は1日曇り空でした。スッキリしません。
最低は4時から8時頃まで16℃台で推移しました。最高は11時12時頃に19℃台まで上がりました。その後夕方まで18℃台で推移しました。

今日の午前中は花畑の草むしりをしました。そして、白のタリクトラムの隣に紫のタリクトラムを植えました。
午後は所用で三春まで。三春から帰って、鉢植えのミニバラを上の花畑に植え替えました。

6日に郡山史団連の交歓会がありましたが、午後からは江戸時代の地図をもとに街を歩きました。
郡山の中心街を通る街道は旧奥州街道です。この道沿いに繁華街がありますが、現在は郊外のあちこちにに大型モールができて、写真のように車や人通りがめっきり少なくなりました。

本町(もとまち)にある南の枡形跡です。道路の食い違いが分かります。枡形は町が広がるたびに南へ移動してます。(南の方向を望む。)

南の枡形跡

本町にある古い建物、現在も薬局として使用されてます。
古い薬局

東邦銀行の発祥の地にある展示施設には、旧郡山商業銀行の職員が身に着けていた半纏が飾られています。
古い銀行の半纏

本町から北へ進むと中町があり、デパートやホテルがあります。街道沿いにある郡山市道路元標
道路元標

旧奥州街道と駅前通りが交差する一角に本陣跡があります。今はホテルになってます。
郡山本陣跡

駅前通りから北は大町。大町にある町屋造りのお店。
古い町屋

大町には北の枡形跡があります。道路の食い違いが分かります。(北の方向を望む)
北の枡形跡

大町の北は大重。こちらにある阿邪詞根(あさかね)神社は平安時代の康平年間に伊勢の阿坂から分祀された神社とか。町の産土の神様です。この境内の中に日本で一番古いと言われている平安時代(治暦三年)の板碑があります。
古い板碑
旧街道は狭くやや曲折してます。この数十メ―トル西側に国道があり、車はもっぱらそちらを通行します。
街道沿いだけでなく横道に入ると代官所跡や古い時代の郡山城跡などがあります。今は大きなビルになっていたりして、説明者がいないと、それだと分かりません。貴重な現地研修でした。

今日も訪問ありがとうございました。

郡山史団連交歓会

皆さんこんにちは。今日(7日)は昨晩からの雨が午前中まで残りました。その後も霧雨がありました。涼しくて上着を着こみました。
昼頃から雨も上がって、14時過ぎ頃から日差しが・・・。気温も上がりました。
最低は、昨晩から今朝7時頃まで14℃台で推移しました。最高は日差しが出てから16時にやっと20℃まで上がりました。

きのう、郡山地方史研究団体連絡協議会(郡山史団連)の交歓会が中央公民館でありました。市内には14の地方史研究団体があります。わが田村町には「守山史談会」と「田村町郷土史研究会」があります。
毎年、持ち回りで交歓会がその地域で行われます。今年の当番は「郡山地方史研究会」でしたので、郡山で行われました。
副市長さんが市長の代理で挨拶をしました。

副市長

郡山地方史研究会の事務局長さんからの活動報告です。
郡山地方史研究会事務局長の挨拶

各研究団体の活動報告と質疑を午前中で終了し、午後からは郡山のメーンストリートの散策でした。中心市街は現在でも旧奥州街道に沿っています。江戸時代の地図を見ながら、枡形や代官所などを訪ねました。
始めは郡山で一番古い金透小学校の記念館を訪れました。町人が造った学校です。明治天皇も東北御巡幸の際、こちらでご休憩されてます。
震災で本体はダメージを受けたので、鉄骨等で補強されています。このようにバルコニー付です。

金透記念館
バルコニーに掲げてある「金透學黌」の額は明治天皇に随行してきた木戸孝允の揮毫です。複製が記念館の中にもあります。
木戸孝允

バルコニー内部には応接セットがありました。
バルコニー内部
普段、なかなか見られないものも、交歓会ではこのように見ることができて、貴重です。

今日も訪問ありがとうございました。

徳定

皆さんこんにちは。今日(30日)の郡山は曇り。昨日(29日)21時頃から今朝8時ころまで21℃で推移。雨降りでした。朝には雨が上がりました。最高は14時頃の27℃でした。

今日は守山史談会のフィールドワークで御代田(みよた)、徳定(とくさだ)方面へ。天気にも恵まれ10人余の人たちで車で回りました。午前中の涼しいうちに回りました。
御代田、徳定は阿武隈川沿いで、中世田村荘の一番南西の隅に当たります。川の向こうは岩瀬郡と安積(あさか)郡。
佐藤さんの案内で回りました。佐藤さんは御年92歳のご高齢の方ですが、郷土史への造詣が深く、我々の師範です。

徳定には坂上田村麻呂の伝説が残っています。田村麻呂の母親は阿古陀媛(あこだひめ)。その阿古陀媛の住んでいた所が童生寺でしたが、今は寺はありません。寺跡には石碑があります。

童生寺跡

清水寺森貫主の揮毫による石碑です。森貫主は時々ここに来て法要をします。
森貫主の碑文

この碑のすぐそばに田村麻呂が産湯を使ったという産清水(うぶしみず)があります。その向かい側は蓮田となっています。昔の阿武隈川の河川跡なので地味が肥えているせいか、とってもしっかりして美しいハスが咲いてます。
ハス1

一昔前まで、ここは素晴らしい蓮田でした。今は、十分の一ぐらいになってしまいました。
葉も花もとってもしっかりしてます。

ハス2

色の違うハスが一株ありました。
ハス3

本当に夢のような蓮田です。昔はレンコンを採っていました。
ハス4
天気に恵まれたフィールドワークでした。

今日も訪問ありがとうございます。

新春特別講演会終了す

 2月5日(日)9時半より、守山会館にて恒例の新春特別講演会が行われました。
 講師は中世史の権威、高橋明先生(福島県史学会会員、郡山地方史研究会副会長)。
演題は「南北朝内乱と田村荘」でした。
17ページに及ぶ沢山の資料を駆使して、講演されました。熱のこもった講演でした。


新春特別講演会1



新春特別講演会2


 講演のメーンは宇津峰合戦ですが、
上方や鎌倉の動向とも密接に絡み合う南北朝の争いを
宇津峰城が落城するまでの時系列の資料や地図等も提示され、
分かりやすく説明されていました。
 この時代の争い、降参しても領地を削られて存続が許されたということです。
貞和三年(1347)には宇津峰城が攻め落とされますが、
その後再び勢力を盛り返して、北朝方と戦います。
そして、文和二年(1353)再び宇津峰城が陥落します。
今回の高橋先生のお話はここまででした。
しかし、田村の庄司は応永の始めごろ勢いを増しあちこちの南朝の残党と合流し鎌倉と合戦に及びます。最終的に応永三年(1396)に敗れ、その後の動静は不明となります。
 高橋先生ありがとうございました。そして、聞きに来られた皆さんご苦労様でした。
今回は小学生から80代の方まで年齢層が広がりました。また、2名の方が会員となられました。

守山史談会から

皆さんこんにちは。守山史談会からのお知らせです。
守山史談会では毎年1、2月に新春特別講演会と銘打って、外部講師を招き、講演会を実施しております。
今年は2月5日(日)午前9時半より11時半まで、守山会館で行います。
講師は郡山地方史研究会副会長の高橋明先生です。
高橋先生は中世史の専門家です。論文を沢山書いておられます。
演題は「宇津峰合戦の頃の守山周辺」です。
昨年は田村町観光協会の新年会の勉強会においでいただいて、「田村の庄司」について講演していただきました。
今回は南北朝の戦い。沢山の資料を提供してお話しされます。乞うご期待。
プロフィール

イングリシュガーデン

Author:イングリシュガーデン
守山周辺の出来事を少しずつご紹介いたします。

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