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田村神社割り拝殿

皆さんこんにちは。今日(20日)は大寒でしたが、雲の多い底冷えのする日でした。
最低は1℃と氷点下には下りませんでした。最高は6℃でした。

午前中は街までマッサージに行って来ました。

午後は田村町郷土史研究会の例会でした。
樫村家「年中日記留」は天保三年十一月晦日を勉強しました。
水戸家中の侍が松前まで行って江戸へ帰る途中、路銀に事欠いたので水戸家の分家である守山藩の陣屋を訪ね、路銀の拝借の申し出をしたこと、などが書いてありました。その証文の写しが載ってました。
江戸から松前まで往復するには相当の金子が入りようだったのでしょうね。また途中で遊んだりもしたことでしょう。
守山は水戸家の分家なので頼ってきたのでしょう。
質物3品を置いて、こちらは遠いので金が返せなかったら質物を流してくださいというような証文でした。

守山藩「卯御用留帳」は天明三年正月廿三日から廿六日まで勉強しました。
藩が渡し置いた馬が死んだので陣屋の役人が検分に出かけたこと、ある村に不埒なものがいるという風聞が聞こえたので、陣屋の役人がその村に出向いたこと、ある村の倅が打擲されたので陣屋の役人が医師を連れて検分に出かけたことなどが書いてありました。
陣屋の役人は事細かに対応していたようです。

田村神社の続きです。
仁王門を潜るとすぐに拝殿があります。
向こうの石段を5段登ると拝殿です。朱塗りです。

吽形

正面からは撮れないので側面から撮りました。
拝殿
扁額は「神楽殿」とあります。その昔はこちらで神主が神楽を奉納したということです。
通路の上には太鼓がつるしてあり、参詣客は誰でも打つことができます。

この拝殿、本殿側から見ると割り拝殿であることが分かります。

割り拝殿
この建物は江戸時代のものが床が抜けていたりと危険だったので、昭和30年代になって再建されたものです。
神仏習合の時代だったのでお寺でしたが拝殿があったりします。
普通の神社は拝殿と本殿が一直線に並び床によってつながっていますが、割り拝殿は拝殿の中央が通路となって左右に割れてます。
京都の鞍馬山でも割り拝殿を見たことがあります。

今日は大寒。小寒の氷、大寒に融ける、などという言葉もありますが、自分としては今までの経験から大寒から節分までが寒さの底と思ってます。
立春を過ぎると朝が早くなってくるのが目に見えてきて、何となく春めいてきます。
ただ2月中旬までは気温は低く、真冬日なども出たりします。
あと2週間、寒を楽しんで頑張りましょう。

今日も訪問ありがとうございました。
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非公開コメント

知らない逸話ってたくさんあるもんですねー。僕ね、大河の終わった後のプチ歴史逸話好きなんですわー。

onorinbeckさんへ

こんにちは。コメントありがとうございます。
古文書はエピソードの宝庫です。
こんなこともあったのか、なんていうものばかりです。
結局、それが今につながっている部分もありますね。
日本の治安の良さなんていうのは江戸時代に形成されたと思っています。
ただ、これからの若者はそういうものから距離があるので日本の姿も変わると思います。
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イングリシュガーデン

Author:イングリシュガーデン
守山周辺の出来事を少しずつご紹介いたします。

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