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鶴ヶ岡茶寮

皆さんこんにちは。今日(19日)は曇り時々晴れの天気でした。
最低は22.5℃。夜中に涼しくてタオルケットをかけました。
最高は31℃でした。

午前中はバラに液肥をやりました。夜が涼しくなってきたので可能かなと思いました。

午後は田村町郷土史研究会の例会がありました。
樫村家「年中日記留」は天保三年十一月廿日から十一月廿四日まで勉強しました。
親戚の方が重病だという飛脚が来たので出かけたら途中で又飛脚が来て亡くなったというようなお話でした。
疱瘡にかかって小さな子供が亡くなったというような話もありました。

守山藩「卯御用留帳」は今日から天明三年になりました。
正月元日から正月七日まで勉強しました。
陣屋への武士や庄屋、寺社の年始御礼について記されていました。

夕方久しぶりにカラオケに行って来ました。

昨日会津若松に行きましたが、昼は鶴ヶ城にほど近い「鶴ヶ岡茶寮」でいただきました。
わびさびを感じさせる門です。

門

門をくぐるとすぐ左手には茶室が。
茶室
現役の時、同僚とこの茶室で食事をしたことを思い出しました。

入口です。

入口

玄関のたたききの正面の部屋です。
正面


自分たちは左にある部屋に通されました。
通された部屋

壁には夢二の絵がかけてありました。
夢二の絵

ゆっくりとくつろぎながら食事をすることができました。
食事の内容は次回アップします。

守山藩は2万5千石の小藩でした。守山と常陸松川に領地があり、どちらにも陣屋が置かれていました。
領主は松平大学頭で水戸家の支藩でした。
よって守山領主は江戸定府で参勤交代が無く、一度も守山に下ることはありませんでした。
陣屋には4,5名の藩士が江戸の藩邸から派遣されて領内を支配していました。
その手足となって働いたのが、樫村家をを始めとする郷士たちでした。
守山藩の陣屋の日記が守山藩「御用留帳」です。
郷士樫村家の当主の日記が「年中日記留」です。
芭蕉が奥のほそみちで守山の問屋善兵衛に世話になりますが、樫村家のその時代の当主でした。
遠い昔に思いを馳せてみました。

今日も訪問ありがとうございました。
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Author:イングリシュガーデン
守山周辺の出来事を少しずつご紹介いたします。

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