FC2ブログ

守山藩の戊辰戦争 2

皆さんこんにちは。今日(28日)は曇りで、午前中に40分ほど雨が降りましたが、それはすっかり乾きました。
夕方からまた雨が降ってます。台風の影響でしょうか。久しぶりの雨でした。

最低は20℃でした。最高は28℃まで上がりました。

午前中の涼しいうちに刈払を40分ほどやりました。そのあとに雨が降り出しました。

午後は「守山藩の戊辰戦争」第2講座がありました。
講師は大河峯夫先生でした。
大河先生は学生の時代から守山に通って「守山藩御用留帳」の解読に勤しんだということです。
当然、戊辰戦争の時代も詳しく読み込まれています。「樫村公私日記」などもよく読まれています。

今日の講演会のポスターです。

ポスター

講演する大河先生です。
大河先生
2時間10分に及ぶ講演でした。

守山藩は水戸家の支藩なので、水戸の影響を受けています。よその支藩はそれほどでもなかったのですが、守山の藩士や郷士、神職など尊攘撃派(天狗党)の影響をもろに受けていました。
会津を討つ先手願いを領主に願い出るほどでした。

40人前後の聴衆が聴き入ってました。

聴衆1

しかし、奥羽列藩同盟ができて参加せざるを得ませんでした。
ところが三春が戦わず東征軍に降伏する(7月26日)と間もなく守山も戦わず降伏(7月28日)しました。

降伏後、東征軍の会津攻めに従って後方支援を命令され、一日48両余の出費を余儀なくされました。守山に帰ってくるまでの21日間の出費は1022両余でした。
守山の領民は軍役に出る出ないにかかわらず、大変な負担を強いられていました。
守山領民は藩に米1285俵と金1338両の嘆願をしています。

聴衆2

東征軍が守山藩の「会津追討先鋒」願などを知っていたのか戊辰戦争後には東征軍の占領地の管理を任されました。
過分な仕事を任された守山藩でした。

今日も訪問ありがとうございました。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

No title

こんにちは。
今、大河ドラマでやってる話にも続く「戊辰戦争」の舞台が守山だったんですね。
歴史の転換期、いろいろな事があったんでしょうね。

マラどーなさんへ

今晩は。コメントありがとうございます。
台風、大丈夫でしたか。こちらはやや風が強かったぐらいでしょうか。
戊辰戦争は会津が一番悲惨でしたね。
守山は小藩でしたが身の丈以上の仕事をさせられたようです。
戦争そのものはなかったのですが、持ち出しがハンパなかったようです。
あとで、薩摩や長州と同じ額の金額を新政府からいただいたようです。
プロフィール

イングリシュガーデン

Author:イングリシュガーデン
守山周辺の出来事を少しずつご紹介いたします。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR