FC2ブログ

大安場史跡公園 2

皆さんこんにちは。今日(14日)は朝のうちは晴れましたが、昼前から曇ってきました。
最低は20.5℃で涼しかったです。秋の気配を感じました。最高は31℃でした。

朝のうちに、墓参りをしました。花は昨日供えたので、今日はぼたもちとあらよね(洗い米と刻み野菜)、線香を供えてきました。
自宅と親類縁者合わせて23のお墓参りをしました。

墓参りから帰ると新盆見舞に出かけました。
3軒の新盆見舞に行って来ました。

午後は明日のために2本の花筒を作りました。

大安場史跡公園の続きです。
こちらが大安場古墳です。

前方後方墳

前方部から後方部を望みました。
後方部

後方部から前方部と2号墳(円墳)を望みました。
前方部
2人が立っている所が2号墳です。

後方部の墳頂には発掘当時の絵が描かれてます。

墳頂

大安場古墳からは宇津峰がよく見えます。
宇津峯

不思議なことに谷田川流域の多くの古墳からは宇津峰がよく見えます。
偶然なのか、それとも宇津峰が見えるところに古墳を造ったのか、考えさせられます。

今日明日明後日とお盆ですが、昔はどの村からも盆踊りの太鼓の音が聞こえてましたが、この頃はどの村でもやっていません。
少子高齢化、生活様式の変化、人口の減少などが大きな原因でしょう。
三春や須賀川など町場では行われていますが、今年はコロナで中止のようです。
会津の方では会津磐梯山に合わせて踊る、東山温泉の盆踊りが有名です。
こちらも今年は中止のようです。
若い時は東山温泉まで出かけて踊りの輪に入ったりしました。
そういえばやはり若かったころ、奈良の猿沢の池を周る盆踊りにも参加したことがありました。

今年は全国的に中止なんでしょうね。

今日も訪問ありがとうございました。
スポンサーサイト



大安場史跡公園

皆さんこんにちは。今日(13日)は時々雲も広がりましたが、夏空の広がる1日でした。
最低は23.5℃、最高は32℃でした。

午前中は昨日作った花筒と花、水を持ってお墓にお供えしてきました。
帰ってきたら弟夫婦が線香とお供え物をあげにやってきました。

午後は大安場公園に行って来ました。
古墳学習の打合せをしてきました。

大安場の写真を撮ってきたのでアップします。
ガイダンス施設です。腕輪形石製品の形をしてます。

ガイダンス施設
この中に展示室や学習室、事務室などがあります。

案内図です。

案内図
大安場1号墳を中心に、郡山市の公園として整備されてます。

ガイダンス施設の外から大安場古墳を見上げました。

見上げる
この古墳は前方後方墳で古墳時代前期の後半(300年代後半)に作られたと考えられています。

丘の上にあります。前方部です。

前方部

古墳からガイダンス施設を見おろしました。古墳から出土した腕輪形石製品の形をしています。
見おろす

大安場古墳は1号墳が全長83メートルあり、東北地方で最も大きな前方後方墳と言われています。
2号墳から5号墳は円墳で小規模です。

大安場の周辺は縄文、弥生、古墳、奈良、平安時代の遺跡が数多くあります。
住みやすく、生産性の高い場所だったのでしょうね。

今年の守山史談会は守山小中学区内の古墳の学習をしようと張り切ってます。

今日も訪問ありがとうございました。

宇津峰城

皆さんこんにちは。今日(21日)はいい天気でしたが風が強かったです。
最低は4℃、最高は10℃でした。

午後に宇津峰(677メートル)まで行って来ました。
途中まで車で行けるので、登るのは100メートルほどですが何せ急です。
息を切らせながら300メートルの距離を歩き頂上へ。
この頂上に南朝方の城がありました。
北朝に攻められ落城します。文和2年(1353)5月5日のことでした。

新御堂御陣(北朝陣地)から那須山を望みました。

那須

頂上から福島空港を望みました。
空港

頂上にある碑です。
頂上
戦前、南朝は勤王だったのですね。

東に長く頂上が伸びてます。両側は切り立った断崖です。

長平城へ
7,80メートル進むと長平城になります。

長平城も平場が100メートルほど続き、両側は切り立った崖です。

長平城

宇津峰はまさに山城です。
頂上付近は切り立った崖です。

北朝は攻めあぐねていたようですが、食料や武器を補給する補給路を断つ作戦に出ました。田村の庄の谷田川口と川曲口を抑え、補給路を断ちました。
頂上にいた守永親王と北畠顕信は出羽に落ち延び、宇津峰城は落城しました。

今は静かな宇津峰ですが、毎日誰かは登山しているようです。
今日も頂上に2人おりました。
見晴らしがよく、登山した甲斐のある宇津峰です。

今日も訪問ありがとうございました。

縄文土偶

皆さんこんにちは。今日(23日)は彼岸の中日でした。一日雨が降ったり止んだりでした。
台風の影響で午後からやや強い風が吹いてます。
最低は17.5℃、最高は25℃でした。

朝のうちに墓参りに行って来ました。
ぼた餅と線香を手向けてきました。

午後に大安場古墳資料館に行って来ました。
今度、授業で使用する資料を見てきました。
縄文土器です。
田村町谷田川の荒小路遺跡から出土したハート形土偶です。レプリカです。

ハート形土偶1
この土偶、大英博物館や国立博物館に展示されました。

田村町細田の割田遺跡から出土した土偶です。今は群馬県立歴史博物館に展示中とか。

ハート形土偶2

田村町手代木の鴨打遺跡からは土偶のかけらが多量に出土しました。
土偶のかけら

時代は下がりますが田村町上行合の南山田遺跡から出土した5世紀前半の取っ手付須恵器です。
須恵器
どうも朝鮮半島からのものではないか、と考えられてます。

須恵器が沢山出て来ます。これらは田村町の遺跡から出土したものです。

須恵器
須恵器は朝鮮半島からもたらされたものが多いとか。
ということは守山周辺に渡来人がやって来ているということなのでしょうか。
地名に唐松(からまつ)駒形(こまがた)白幡(しらはた)神社などがあります。カラ、コマ、シラです。
須恵器(すえき)は焼しめられたグレーの堅い土器です。
それに対して列島で伝統的に作られ続けた土器が土師器(はじき)です。

土偶はもちろん縄文時代の土器です。
ハート形土偶は、田村町周辺から沢山出土しています。

縄文、弥生、古墳時代と人々が住み続けた田村町なのでしょう。

今日も訪問ありがとうございました。

守山の戊辰戦争

皆さんこんにちは。今日は1日曇りの日でした。

午前中は吉川貞司先生の「守山の戊辰戦争」の講演会があり、聞いてきました。

ポスター
40名近くの方々が参加されました。

講演する吉川先生。御年88歳です。1時間半の講演をこなされていました。

講演する吉川先生

聞き入る人々。
聴衆
ほとんどシルバーの方々です。若い人たちは郷土の歴史にあまり関心が無さそうです。

守山藩は水戸の分家(御連枝)でした。幕末には水戸で天狗党の乱があり、藩内部で相克がありました。一時天狗党(尊王攘夷激派)が弾圧されましたが、その後復権しました。守山にもその余波は及びました。
天狗党復権の後、守山藩は「会津追討先鋒」を・・・という考えもありましたが、結果的に奥羽列藩同盟に参加します。
守山藩は常陸にも松川という領地があり、本家水戸家とは目と鼻の先でした。

守山藩は奥羽列藩同盟と尊王派の間を揺れていたようです。

奥州の守山藩はそういうこともあり、戦わずして降伏しました。
その後、新政府の支配の一端を担うことになり、大変な思いをしたようです。

今日も訪問ありがとうございました。
プロフィール

イングリシュガーデン

Author:イングリシュガーデン
守山周辺の出来事を少しずつご紹介いたします。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR