FC2ブログ

芭蕉の道・須賀川

皆さんこんにちは。今日(25日)は朝から雨降りでした。夕方もパラパラ降ってます。
深夜から朝まで19℃前後で推移。朝から夕方まで18℃前後。夜に入って16℃台まで下がってます。

午前中、雨が止んだのを見計らって、花畑にコニファーを3本ばかり植えてきました。風よけのためです。
その後、いとこが仏壇に供物を持ってお参りに来ました。

午後は「田村町郷土史研究会」の例会がありました。
樫村家「年中日記留」は天保三年九月十七日から二十日まで勉強しました。
用水堀が壊れたので修復をした、ということなどが書いてありました。この用水堀は今も守山の町の中を流れています。
守山藩「御郡方御用留帳」は寛延三年十一月十五日から十八日まで勉強しました。
観音寺に駈け入りをした人達が放免となった、とか白岩村の五人が伊勢参宮を願い出たとかでした。
ちなみにこの人たちの伊勢参宮願いは十一月廿五日から正月廿五日の二カ月だったようです。

昨日、須賀川の芭蕉の道を写真に収めてきましたのでアップします。
須賀川の一里塚から北方面を望みます。残念ながら手前の空港道路によって旧道は分断されています。

旧道

芭蕉は須賀川に七日逗留しますが、やはり相楽等窮という俳人に引留められたからでした。こちらで歌仙を巻いたようです。
相楽等窮宅は今はNTTの建物になってます。一部、芭蕉記念館になってます。

相楽等窮屋敷跡

このNTTのはす向かいに公園がありますが、こんな井戸があります。今も現役です。
公園の井戸

須賀川をさらに北に進み東に折れると、やはり幕末の女流俳人、市原多代女の生家の庭のあった場所があります。
多代女の生家
自分もある俳誌に見開き2ページほどの小論文を書いているので、色々材料を集め回っています。
須賀川は格好の場所です。

今日も訪問ありがとうございました。
スポンサーサイト



女流俳人市原多代女

皆さんこんにちは。今日(27日)は涼しい日でした。雲も多く、陰っていたので過ごしやすかったです。
最低は18.5℃まで下がりました。朝方3時頃、涼しくなって窓や戸を閉め夏蒲団をトップリかけて寝ました。
日中も29.5℃で30℃まで上がりませんでした。

朝は町の花いっぱいコンクール参加の花畑の草取りをしました。5時半起きでした。

午前中に、すぐ近くのО集落のNさん宅に行って来ました。こちらに幕末の須賀川の女流俳人、市川多代女の直筆の書があるというので、見せてもらいに行きました。

午後はその資料をもとに原稿を一気に書き上げ、夕方印刷所に届けました。

О集落には10戸弱のお宅がありますが、皆同じ姓です。Nさん宅が本家だそうです。
このお宅50坪はあるでしょうか。風格のある古民家です。

Nさん宅

柿の木越しに。
畑から

多代女八十八歳のお祝いにNさんのご先祖さんが糯米の餅をついてご馳走したのでこの書を認めたようです。
多代女の書
     米の餅これて搗とて杵二本  晴霞

多代女八十九歳のときに、この集落の北のはずれに大きな句碑を立てました。高さ182センチ、幅143センチです。

句碑

     なつかしやいつの昔の松一本  多代

Nさん宅の後ろやこの句碑のある場所は芭蕉の通った道なので、多代女のこだわりは強かったのだと思います。

市原多代女の長兄、市原貞右衛門綱稠は多代女の生まれた一年後に鎮守山泰平寺大元明王(現田村神社)に石灯篭を寄進してます。右の1基です。3mはあります。

石灯篭
安永の頃は市原家が最も栄えた時期でした。

多代女は晴霞という俳号も使用してます。
小林一茶の句集『おらが春』にも載ってます。
     老いたちの出る夜となれば朧月

多代女は数え歳90歳でこの世を去りました。慶応四年のことでした。
生涯に四千余句を作ってます。

今日も訪問ありがとうございました。

芭蕉の道を歩く

皆さんこんにちは。今日(17日)は朝のうち曇り、日中は晴れという天気でした。
昨晩も寒かったので冬布団を掛けて寝ました。

今朝は5時起きをして、中学生の通学路の草刈りをしました。背丈ほどもある雑草がきれいに刈られ、通学の安全に寄与できると思います。

午前から午後にかけて、お世話になっている大先輩の米寿のお祝いの席に呼ばれました。
一言挨拶を申し上げました。

昨日(16日)「芭蕉のみちを歩くツァー」に参加しました。
須賀川の「NPO法人チャチャチャ21」の主催です。
午前中は須賀川一里塚から町中へ。

須賀川一里塚です。南から見ています。道の両脇に塚が残ってます。江戸から59番目とか。

一里塚
この一里塚は南隣の鏡石町との境界付近にあります。
旧奥州街道は空港道路や東北本線など数か所で分断され、まっすぐ歩くことはできませんでした。

案内板

案内板

「NPOチャチャチャ21」が建てた「道しるべ」
乙字ヶ滝道しるべ

午後は町中より乙字ヶ滝まで歩きました。所々、車で移動しました。
乙字ヶ滝。幅100メートル、高さ6メートルです。

乙字ヶ滝

案内板
乙字ヶ滝案内板

「道しるべ」
一里塚道しるべ
今日(17日)は乙字ヶ滝から守山境まで歩くことになってましたが、別の用事のため参加できませんでした。

芭蕉は旧暦4月29日に須賀川を発って乙字ヶ滝を見て守山を訪れていますが、新暦では6月16日でした。

今日も訪問ありがとうございました。

松明あかし

皆さんこんにちは。今日(11日)は風の強い一日でした。午前中は晴れてましたが午後からはしぐれ混じりでした。
最低は朝4時に9.2℃まで下がりました。最高は10時に11.6℃まで上がりました。しかし、15時頃から8℃まで下がってきました。

午前中は村の友達の家2軒に行って、いろいろしゃべってきました。

午後は父の介護施設に行って来ました。

介護施設から帰ってきたら、隣村のKさんが、講演会に行こうと誘いに来ました。ここでもいろいろしゃべりました。

夜は須賀川の伝統行事「松明あかし」に行って来ました。数千人の人出でしたが、近くで見ることができました。
市内五老山にて行われます。420年の歴史があります。
ちょっとボケてますが27本あります。点火前の松明

点火前
直径1メートル以上、高さも6、7メートルはあります。

メーンの大松明は直径2メートル、高さ10メートル、重さ3トンです。点火する人はよじ登って下から上がってくる御神火を待ちます。

大松明に上がっていく御神火

6時半に点火します。
点火

大松明に火が着きました。
点火

大松明に続き、次々に点火されます。
点火2

須賀川1中の生徒たちの松明にも点火されます。
須賀川1中の点火
須賀川市内の中学校や高校からも多くの松明が設置されます。

全ての松明に点火されました。

次々と点火

紅蓮の炎を上げてます。圧巻です。
紅蓮の炎

燃え盛る松明。強風に煽られます。
燃え盛る松明

やがて城形の仕掛け松明に点火され最高潮に達します。
仕掛け松明
松明あかしは須賀川城主であった二階堂氏が伊達政宗に滅ぼされますが、その一族や家臣の霊を慰めるために始まったそうです。

風が強く、時折しぐれまじりの寒い夜でした。顔は火のため熱かったのですが、手足は寒かったです。

早めに切り上げ、ラーメン店で暑いラーメンをすすり、温まって帰ってきました。

今日も訪問ありがとうございました。

勢至堂の村

皆さんこんにちは。今日(28日)は一日曇りでした。いやー、大変涼しかったです。最低は日付が変わる頃から6時まで15℃と16℃を行ったり来たり。夏蒲団だけでは涼しいので、その上にタオルケットを掛けてグッスリ眠りました。
最高は午後3時頃から5時頃まで25℃に。

仮払い機が壊れ、メーカーの方へ修理に。そのため午前中は、上の花畑の草を手でむしりました。そして、花や果樹の周辺に油粕を少々蒔きました。

午後は歯医者さんへ。その後は野暮用で街へ。

今日は勢至堂の続きです。
メーンストリート(太閤道)です。道は西(正面)に向かって高くなってます。南は山で北は川です。そのはざまに通りと民家があります。道路に停まっている車は我々の車です。

家並

昔の繁栄を偲ばせる欄干のある民家。
住宅


欄干のある家

川を渡った先に分校跡があり、そこから少々上がると畑がありました。南を望むとそこは山です。
畑
イノシシ除けにネットが張ってあります。

キュウリもなってました。
キュウリ

村の奥の杉林には道路の脇にずーっとキンミズヒキが咲いてました。
キンミズヒキ

こんな花も咲いてました。センノウかな。
花
勢至堂はすぐ上を国道のバイパスが通ってます。そのため、村は静かです。太閤道は深い眠りに入ってます。

今日も訪問ありがとうございます。
プロフィール

イングリシュガーデン

Author:イングリシュガーデン
守山周辺の出来事を少しずつご紹介いたします。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR